Carpe diem

読書記録、たまに病気の自己管理日記。

恋愛依存症の心理分析 なぜ、つらい恋にのめり込むのか

恋愛依存症の心理分析

 

 

 

恋愛依存症の心理分析―なぜ、つらい恋にのめり込むのか

恋愛依存症の心理分析―なぜ、つらい恋にのめり込むのか

  • 作者: ピアメロディ,J.K.ミラー,A.W.ミラー,Pia Mellody,J.Keith Miller,Andrea Wills Miller,水沢都加佐
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2001/01
  • メディア: 単行本
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恋愛依存症の心理分析。
恋愛依存症の人は共依存と呼ばれる状態にあることが多いらしく、
その共依存は自尊心を持つことがなかなかできない、
そして他者との境界線を健全に設けることができない、
自己管理が難しい、そして現状の認識を正しくすることができない
このような症状を呈しています。


共依存者の全員が恋愛依存症になるというわけではない模様。
ここあたりの包含関係がちょっとわかりにくかったです。


依存症にも二種類あって、恋愛依存症と回避依存症というものがある。
恋愛依存症は、過度な関心と時間を
「自分より優れた存在(ハイヤーパワーを持つ人)」にそそぎ、
無条件で確実な愛情をもらえるものと確信している、
そして相手との関係を結んでいる間、自己管理がおろそかになるという人のこと。


一方の回避依存者は、対人関係以外のことに熱中し、
対人関係における激しい感情を避けようとし、
相手からの支配をさけるために自分のことをあまり打ち明けず、
親密さを避けようとするタイプの人。


両者ともに「見捨てられることへの恐怖」と「親密さへの恐怖」がありますが、
恋愛依存症の方が「見捨てられる恐怖」が優位であり、回避依存者は逆。


どちらも幼少期の体験に基づいていると筆者は述べますが、
ここあたりは無理なこじつけを感じてしまいました。
そういう面も確かにあるでしょうが、それだけとも言い切れないのでは。


それはともかく、世間一般の男女、あるいは先生と生徒、
アイドルとファン、そして親と子にはこのような関係(恋愛ー回避)
が見られるらしく。男性が回避依存者が多い傾向にあるのは、
恋愛依存症の母親が回避型の夫よりも子供を大切に扱った結果であることもしばしば。



面白いのが、恋愛依存者の恋愛サイクルと、回避依存者のサイクルが
うまいこと歯車のようにかみあって回っているという解説。

  • 恋愛依存者
回避依存者のパワーや恋愛以外のことに打ち込んでいるということに惹かれる

高揚感をえる、幻想に浸る(白馬の王子様!この人なら幸せにしてくれる、など)

苦痛からの解放感を味わう

要求ばかりが強くなり、見捨てられそうになるが、否認する

否認が崩れて、禁断症状をしめす(浮気をする、買い物、酒、たばこに走る、自分が困っているということを相手に伝える、旅行に連れ出す、性的な誘惑をする)

相手をどうしても取り戻すという幻想を抱く

その計画を実行に移す

別のパートナー、あるいは同じ人とサイクルを1から繰り返す


一方の回避依存者はというと
 
  • 回避依存者

恋愛依存者弱さに惹かれる

相手を誘惑する。

敬い、慕われることで自分の優位さを確認し、高揚感にひたる

相手の窮状により支配される感覚を持つ、恐怖

追いつめられる恐怖のために、アディクションにうつる
(対人関係以外の何か。適当でない相手との関係、
ワーカホリック、アルコール)

見捨てられるという恐怖のために再びサイクルを繰り返す、
または新しい相手を見つける



これがきれいにかみ合っているんですよね。
本書では、歯車の図で示してありました。



回避依存者の傾向として、家族間の仲がいいことや
激しい議論で相手を圧倒すること、そして
相手に別れをつらつかせて脅すことで関係を維持することがありました。



正直、自分は恋愛依存者だと思って読み始めたのですが
読めば読むだけ自分が回避依存者なのではないかと思えてきまして。



2人のうち、どちらががどちらかだけの様相を呈する場合もあれば
立場が入れ替わる場合もあるようです。
この場合のカップルが一番危険とも書いてありました。
世にいうロマンスや愛、情熱というものは、上記のような
ネガティブな感情とポジティブな感情の激しい交代のことであり
あまり健全なものとは言えないらしいです。それには納得。
小説や音楽や映画なんかで夢見てますもんね。私たちは。



アディクションからの具体的な回復方法は、
自分がアディクションに悪影響を受けていると認識し、
それからアディクションに介入し、禁断症状を経験することらしいです。


適当でない相手を追いかけるのをやめ、適度に働き、
お酒もたばこも控え、現状を冷静に見つめること。
相手が何か自分の意に沿わないことをしてきても、
「ああ、今○○の症状を呈しているんだな」と
まではいかなくても冷静に観察できるように。



回避依存者に一言、という節で、

依頼心が強く、困っている人は自分の支配下にあるというゆがんだ認識をただすこと。
そして、相手に低いレッテルを貼る事は共依存の諸症状のひとつ
また、批判的に相手を判断する人も共依存である。

相手の価値体系を認識し、それが自分を傷つけるほど
ひどいものでない場合は相手の価値体系を認める、
と書いてありました。


誰が何しようと思おうと、その人には
その人なりの考え方や理念があって、
わたしには私なりの考えや理念があって。
それは優劣のつけようがない。





だいぶ面白い本でしたが、さすが欧米だと思った点を最後にひとつ。
依存症どうしなどで、関係が終わってしまっ時のことについて。


依存症者は、関係の終わりを失敗ととらえがちですが、
実際、うまくいくはずのない二人が関係を終わらせられたこと自体
成功だったのではないでしょうか、と。


また、今のパ―トナーと良い関係を築けたとしても、
どうしても合意に至れない部分も発生します。
そのようなところは、「合意しない」という
「合意にいたる」ことが可能であると。
そんな詭弁のような納得の仕方は面白かった。




時間があって、そして自分こそ依存症じゃない
という人にこそ読んでほしい一冊です。